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30日の受講者です。
アンケート書きそびれたので、メールで失礼します。
「眼」は、この数ヶ月いつにもまして興味が強くなったものでした。
「すべてを見る」と、時間はゆったりと流れ、目の前の世界は明るくやわらかくなります。
すべてを見る時間が増えたのは、仕事で「2つを同時に見ながら直接見ない(動きが遅れるので)」という集中した時間を過ごすことが多いことと、「太極拳をするときの視野」について、意識するようになったからだと思います。私は、仕事と太極拳と気道のトライアングルで前に進んでいるようです。まだ気道の占める割合は「ぽつんぽつん」と細切れで持続性はありませんが。
そんなふうに「すべてを見る」ことは、私の発見ではあるのですが、気道で求められていることと共通しているもののような気がします。気道での話が私の中にあるから、そういったことが起こることをはっきりとした形で認識するとも言えますね。
講座の途中で、散歩で見る、というお話があったので、散歩をしながら「見ること」をしました。そういうことをすると、物の輪郭はなくなり、すべての事象は意味を持たなくなり、明度と色彩の差となり、周辺がくっきりと目に飛び込んできます。意識しなければ「しない」ことですが、それは、至福の時であり、同時に自分の中の「可能性」と、世の中で生きていくために人が使っている「蓋」を感じるときでもあります。
「本を読むこと」についても問われましたね。私にとって「本を読む」ことは「より自由になること」のかな、と思えました。私の中にある物を表現し、表に出してくれるのは、ことばです。私には、そんな「ことば」がありますが、新しい言葉を与えられることで、いつもの言葉にとらわれている、「わたし」を解放してくれるのが、他の「わたしの中にあるもの」に近いことばではないかな、と思ったのです。それが「本」にある。わたしが次に進むきっかけを与えてくれるものなのです。
「気道」と先生は、私にとって、共に同じ方向を向いて歩むモノ、そしてずっと先を行くモノなのでしょう。わたしが「わたしが進みたい方向」へ進むきっかけをくれるのです。
仕事と太極拳と気道に最も共通していることは、「カラダ」と「気」です。例えば「眼を左右に動かす」。それがなければ「感じ得ない、知り得ない」ものがある。肩甲骨が動く、それがなければ知り得ない世界がある。「気」が通らなければ何もなしえない。
なので、知らない「動き」をたくさん体験すること、それがわたしにとって「自分ひとりではできない」けれども「自分が前に進む」ために必要なことなのだと実感しています。
とりとめなくて、うまく伝えられなくてすみません。
そんな感想です。
ありがとうございました。
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